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こみせ通りの歴史的背景と概要

こみせ通りの歴史

「黒石津軽家」創立と町割り

「黒石津軽家」が誕生したのは、江戸時代前期のことです。

明暦元年(1655)、弘前藩3代目藩主・津軽信義が急死したため、その翌年、彼の子供である信政が4代目藩主となりました。

しかし、その当時信政はまだ幼かったことから、信義の弟である津軽信英(のぶふさ)が信政の後見人に命じられました。

そこで明暦2年(1656)、信英は弘前藩から5,000石を分知され、黒石領初代領主となりました。

信英は分知以前からあった町並みを基に新しい町割りを行っており、これが現在の黒石の基礎となっています。

こみせの建築年代

こみせは、黒石領初代領主・津軽信英が町割りを行った際に作らせたと言われています。

重要文化財の高橋家住宅が建築された宝暦13年(1763)頃には、こみせを持つ商家が立ち並んでいたようです。

 

「こみせ」とは

こみせと雁木

建物の表通りに設けられたひさしを、青森県や秋田県では「こみせ」と呼んでいます。

同じものが、新潟県などでは「雁木」と呼ばれており、地方によって呼び名が違います。

こみせの空間は、積雪時の貴重な歩行通路となることから、降雪地帯で維持されてきたと考えられます。

 

こみせの形

黒石のこみせは主屋1階の高さに合わせてひさしをつけた「落とし式」となっています。

陣屋の建設と同時に作られたものであるため、道路上に短時間で建設できる形が採用されたと考えられています。

こみせの構成はシンプルですが、雪を防ぐために落とし込む「しとみ」や、幕板、欄間風の細工、庭への入り口部分に設けられた入母屋屋根など、通り全体の統一性を保ちつつ家ごとに個性のある意匠が施されています。

 

こみせの空間

こみせの空間は、江戸時代では公共のものとして扱われていましたが、明治の地租改正時に私有地となりました。

しかし、現在もこみせの空間は多くの人々に利用されており、私有地でありながら公共性の高いものとなっています。

 

 

 

こみせ通りの建物

間取りと内部の特徴

こみせ通りの商家の間取りは、通り土間に沿って部屋が並ぶという特徴をもっています。間口の大きさによって、1列または2列に座敷が配置され、坪庭を設ける場合もあります。

通り土間には天井を張らずに梁組を見せていることも特徴の一つです。

 

外観の特徴

屋根は切妻造が主体で、妻入りと平入りが混在しています。

間口が大きい家は妻入り、小さい家は平入りが多くなっていますが、これは冬場の雪降ろしの都合によるものです。

主屋や店舗は木造真壁造が主流で、外壁は土壁中塗装仕上げ、しっくい仕上げ、板張りです。

土蔵は、雪害から守るために屋内に取り込まれていることが多く、景観上は目立ってはいませんが、丁寧な仕上げを施した土蔵が数多く残されています。

 

こみせの構造

こみせの伝統的な形態は、構造が木造で、幅は1.6メートル前後、軒高は2.3メートル前後、屋根勾配は2寸勾配前後、天井は垂木となっています。

また、前堰(現在は側溝)に雨だれや雪を落とすため、軒先が道路に出ています。

 

 

 

こみせ通りの変容と現状

発生、形成、衰退

江戸時代に形成されたこみせは、最盛期には総延長4.8キロメートルにも及んでいましたが、度重なる火災や車社会の発達などにより、大半が消失してしまいました。

ところが中町周辺だけは、伝統的な形態のこみせが連続性を保ったまま保存されました。

中町には、造り酒屋、米屋、呉服店、銭湯など、近代的な店構えにしなくても成り立つ商家が多かったうえ、昔ながらの重厚な店構えであったほうが商売上有利であったことが関係していると考えられています。

また、長年住み続けている世帯が多く、共同体としての意識が高いことなども、中町にこみせが保存されてきた要因と言えます。

 

こみせ存続のための動き

昭和50年文化財保護法の改正により伝統的建造物群が文化財の種別に加わってから数年後、黒石でも保存調査報告書を作成しましたが、残念ながらこの時は伝統的建造物群保存地区の決定には至っていません。

その後、中町においてもこみせを持つ伝統的な商家が次第に解体され始めたことから、こみせ通りの保存を希望する声があがるようになりました。

平成元年、黒石市民のこみせに対する思いを表す出来事が起きました。

中町で長年商売を続けてきた商家が土地を業者に売却せざるを得なくなったため、市民が協力してその土地と建物を取得したのです。

その後「こみせ駅」という名称で、津軽三味線の生演奏、みやげ物販売、蔵を利用した多目的ホール運営などさまざまな活動をしており、中町の活性化と観光に大きな役割を果たしています。

 

 

こみせ通りのこれから

たくさんの方々の活動や思いが実を結び、平成17年に重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けました。

その後、「手づくり郷土賞・大賞」「美しいまちなみ・優秀賞」を受賞、「美しい日本の歴史的風土100選」にも選定されました。

江戸時代から受け継がれてきたこみせ通りに対する人々の思いと、こみせの価値を、正しく次世代に伝えていかなければなりません。