大杉
所在地 黒石市大字南中野字不動館
指定年月日 昭和58年2月1日
所有者 中野神社
中野神社の社殿前、社殿から展望所に上る階段の途中、社殿西側の山腹にそれぞれ一本ずつ大杉が植えられている。樹齢は、社殿前の大杉が樹齢500年、社殿裏側の大杉が600年、社殿西側の山腹にある大杉が700年である。
樹高はすべて30mを超えており、大きいものでは40mにまで達する。津軽地方には巨木が多いが、中野神社の大杉もその中の一つとして評価される。
中野のモミジ
所在地 黒石市大字南中野字不動館
指定年月日 昭和58年2月1日
所有者 中野神社
中野神社の鳥居の階段を下っていくと、3本のモミジがある。カエデ科カエデ属のイロハモミジで、いずれも樹齢が約200年である。
このモミジには次のような由緒が残されている。享和2年(1802)9月26日に弘前藩9代藩主・津軽寧親(やすちか)が温湯村に一泊した際、寧親は中野山の景色に魅了されたという。そこで寧親は、京都からカエデの苗木約百種百本を取り寄せ、享和3年4月13日中野不動尊へ奉納し、自ら現在の場所に3本のモミジの苗木を手植えしたという。それ以来、中野のモミジはより有名になり、京都の紅葉の名所である「嵐山」に対し、中野は「小嵐山」と呼ばれるようになった。
この中野のモミジ3本は「お手植えのモミジ」と呼ばれ、その保存が図られている。
袋のイチョウ
所在地 黒石市大字袋字富山
指定年月日 昭和63年3月4日
所有者 白山姫神社
白山姫神社の鳥居の側に大きなイチョウの木がある。推定樹齢4〜500年、樹高27.7m、根元幹周7.60m、胸高幹周5.65mの雌木で、古くから袋の神木として親しまれている。
このイチョウの木には、次のような伝説がある。大永年間(1521〜1527)は台風の多い年で、大風が吹き荒れたため神木が倒れ、社殿も壊れた。そこで工藤衛門之介という人物が、庭にイチョウの木を植えたのである。それ以来、イチョウの木は「袋観音の神木」として住民に崇拝され、大木に生育したという。
県内でも5本の指に数えられるほどの大木で、中弘南黒地方では、弘前城跡二ノ丸のイチョウの木に匹敵する古木である。
村上家のイチイ
所在地 黒石市大字上十川字柳沢
指定年月日 平成2年12月6日
所有者 個人
村上家のイチイは推定樹齢300年以上の古木で、主枝の一部に老化が認められるが着葉状態はよく、樹勢もよい。
樹形は四方に主枝を放出させて段作りの刈り込みをしている。最下位主枝を地面沿いに伸ばして低い刈り込み仕立てにしている。そのため、全体の形は片枝流し作りの大刈り込みで、それは順風満帆の「宝船」が浮かんでいる姿を模写しているようである。
枝張りは全周35mで、南北に14.2m、幅6.0mにも及ぶ。北側が丸味を帯びているのに対して、南側は船の先のように狭い張り方をしている。
この「宝船」を模した形は、年月をかけてていねいに作り上げたものであり、その樹姿は大いに評価されるものである。
サルスベリ
所在地 黒石市京町字寺町15
指定年月日 平成12年12月6日
所有者 感隨寺
感隨寺のサルスベリは、樹高9.5m、幹周130センチ、根元周190.51センチ、推定樹齢300年の樹木である。サルスベリは中国原産のミソハギ科の落葉小高木で、樹高は数メートル程度であるが、感隨寺のサルスベリは県内でも珍しい大木である。
高田家の糸ヒバ
所在地 黒石市大字二双子字十川
指定年月日 平成13年12月6日
所有者 個人
高田家の糸ヒバは、樹高10.5m、幹周り2.72m、枝下の高さ2.0m、枝張りが南側4.71m、北側4.45m、東側3.50m、西側3.30mで、樹齢300年以上の老木である。
糸ヒバは正式樹種名をヒヨクヒバ(比翼桧葉)といい、サワラの変種である。高田家の糸ヒバも一部においてサワラに枝変わりしている箇所がある。
樹木医の診断によると推定樹齢からかなりの老木であるものの、全体的には順調に生育している。また、同種としては県内有数の古木である。
安入のハリギリ
所在地 黒石市大字高館字乙高原
指定年月日 平成29年4月26日
所有者 個人
ハリギリは、ウコギ科ハリギリ属の落葉高木で、日本では北海道から九州まで広い範囲に自生している。安入のハリギリは、安入集落の入り口の、小高い道路交差点の分岐地に生育しており、道標としての役割を果たしていたと考えられる。樹齢は約400年で、根元には文化11年(1814)の石碑が建立されていることから、地域住民の御神木として古くから存在している可能性が高い。
樹高は23.5m、幹周り5.2mで、県内だけでなく全国でも有数の大木であり、貴重である。