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日本初の女性生物学者 小川 文代(おがわ ふみよ)

 文代は結婚生活に入ったが、約束どおり5月には大学院に進学した。1931(昭和6)年6月長女陸奥子むつこ誕生。1933(昭和8)年3月二女真理子まりこ誕生。普通ならば愛の結晶ゆえ、めでたい祝福の限りなのだが、夫婦二人とも研究者であってみれば頑是がんぜない赤ん坊のことが原因とはいえ深刻な争いがおきる事態も生じた。結局弘前の石原家で陸奥子は成長するようになる。また文代は真理子誕生の翌月、大学院を退学した。しかし研究活動は大学院で継続した。これは恩師畑井新喜司博士の配慮によるものだった。
 夫の小川鼎三はのち日本学士院会員、日本医史学会理事長となった人である。専門の数多くの著書のほか『医学大辞典』編集や鯨やヒマラヤの雪男の探検などでも有名である。
 小川文代はミミズの研究にとりかかるいきさつを次のように話している。
 「一般にミミズは大抵の人たちに嫌われる動物の一つで、実をいうと私も嫌いだったので女高師時代の動物実験にはミミズの解剖だけは願い下げにして頂いたほどでした。」
 「それで入学する前は植物を専攻するつもりでおりましたが、クラスの女性の方々がみんな植物なので、動物を女も一人ぐらいやってもよいのではないかという程度の軽い気持ちだったのです。それでもやはり私は生理実験の生きたガマの頭を切れなくて男の方に頼みました。」
 「ところが、主任教授の畑井先生が日本のミミズ研究のパイオニア(先駆者)でいらっしゃいました関係上、文献も揃っているせいか、当時の動物学教室ではミミズの研究をしている人が多いのには驚きました。それで私も波に乗りました。お互いに研究の交流も出来ますしね。3年次に畑井先生に卒業論文の研究課題で相談に行きましたら、ミミズの神経細胞の数を計算することを申しつかりました。それでしぶしぶこの研究にとりかかることに致しました。その頃、高等動物の中枢神経で細胞の数を数える研究が行われておりましたので方法など参考にいたしました。」
 正直いってあまり興味なかったといいながら、結局小川文代は大学卒業後、大学院を含め10年間ミミズの研究に没頭したことになる。研究の視点はミミズのふ化から成熟までの神経細胞と神経繊維がどのように増加していくかということだった。
 この研究はまず、卵の採集から始めなければならない。毎年春に2〜3千個集めるので、効率的に集めるにはミミズを飼育しておいた場所の土をふるいにかけて水洗いする。また、時には用務員に2〜3千個集めてもらい1個2銭で買った。
 次にふ化したものを順次飼育鉢に入れ、隔週ごとに30匹ずつ体重、体長、直径、体節数、器官の発達状態を調べた後、神経系の主な部分を固定して標本を作った。この作業量はぼう大で、記録するのにさすが頑張り屋だった文代も神経を消耗してしまった。

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