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日本初の女性生物学者 小川 文代(おがわ ふみよ)

 また女のたしなみとしてお稽古ごとも小さい時から学びました。小学校の帰りにはどの姉妹も毎日お琴の稽古に行かされました。稽古の順番待ちの時には先生のおばあ様から押絵を教えられました。年一度のお琴の演奏会はお寺の大広間でひらきますが、父方のおばあ様から贈られた友禅の被布ひふ(着物の上にはおる外出用コート)を着、大きなリボンを髪に飾って、姉妹そろって華やかに出かけました。
 夏には蛍狩りに父について、書生を連れて夕方から出かけ、夜は蚊帳かやの上にその蛍かごをのせて安らかに眠ったものでした。また父は朝顔が好きで50から100位の鉢を作っていました。そして町の同好の仲間を呼んで楽しんでいました。この花の鑑賞にはもう一つの目的がありまして、夏休み中でも娘たちが早起きするためなのです。朝顔の花には半紙でおおいをかけておき、客が揃った頃に家族みんなを呼び、おおいを取り除くのです。パッと開く朝顔の花の美しさはまた、たとえようもなく、子供心にも美しいと思ったことをよく覚えております。大輪や狂い咲きなどいろいろ変ったものもあって、写真にとった美しいものが今も生家にあります。
 また菊の会には芸者さんたちも家に来て、父の謡曲に私のうつ下手な小鼓にあわせて仕舞をいたしたり、妹が手踊りするなどのいろいろな余興があってにぎやかなものでした。母はそのたびごとに食事の支度したくに汗を流していました。母はどちらかといいますと真面目一方でした。

 黒石における父は優雅な生活でしたが、突然病気になりました。それが治ったのを機会に弘前市山道町に移り、個人医院から病院制度にしました。それでいろいろ忙しくなり、また講演を依頼されたりして黒石時代とは変りました。この頃の思い出で忘れられないのは、真向いに聖公会のイギリス人夫妻が子供二人と住んでおり、庭の芝刈りをした時に刈り草を父の飼っていた実験用の山羊や兎、モルモットの飼料としてもって来てくれたことです。子供たちは私たちの家に遊びに来て、子供同士よく遊び、ゆでたじゃがいもや、とうもろこし、枝豆など一緒に食べました。父もこれ幸いと市立弘前病院長と英会話を習っていました。
 

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