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この国随一のこけし作り 盛 秀太郎(もり ひでたろう)

 師秀太郎は高齢で体が衰弱し床に臥していた。枕元で鉄則が報告すると「その賞状をこの部屋に飾れば、部屋が明るくなるな。」と素直に喜んでくれた。“これらのことが一番印象に残る”と鉄則は述懐する。このあと約2ヵ月後、秀太郎はこの世を去る。
 鉄則が入門した2ヵ月後、佐藤善二が秀太郎の門を叩(たた)いた。善二は西郡木造在の出身であり、地元の農協の役員をしていたが、内部事情により辞して、上京し、一時、小田原市で観光こけしなどを作っていたが、志を得ず当時父のいる温湯に身を寄せていた。善二の父と秀太郎は昵懇(じっこん)の間柄であった。
 善二の県立木造中学校の恩師は横山武夫である。当時、県副知事をしていた横山武夫は善二が失業していることを聞き、目先を変えて、温湯にいるならこけしでも作ったらどうか、とさとした。善二が小田原で観光こけしを手がけた経験も知っていた。父同士が親友であり、恩師のすすめもあって秀太郎に入門した善二だが、年長の故もあって、善二の弟子としての生活は、鉄則と対照的であった。
 鉄則は秀太郎の創造した伝統こけしの継承者として自他共に許していたが、善二は気楽に半ば、秀太郎とは没交渉的な形で作業を続けていた。作風も秀太郎と異なっていた。秀太郎も善二の個性を、強いて同化させることもなく、気楽に振るまわせていた。
 1960年代に入るとこけしブームはますます高くなり、それにつれ秀太郎の工人としての声価は押しも押されもせぬものになっていた。

 1960(昭和35)年 青森県褒賞
 1973(昭和48)年 黒石市褒賞
 1974(昭和49)年 青森県文化賞
 1976(昭和51)年 青森県知事表彰(卓越技能者)
 1977(昭和52)年 労働大臣表彰(卓越技能者)
 1978(昭和53)年 勲六等瑞宝賞
 1982(昭和57)年 黒石市無形文化財指定

 受賞の主なものである。このように数多くの栄誉に浴したものの、晴れがましい授与式に、秀太郎自身は一度も出席したことがなかった。ほとんどが長男真一、妻ハツヱが代理出席をした。主催者は、長男の嫁と紹介するのが体裁が悪いのか、「盛秀太郎ご令嬢」と紹介するのがお決まりであった。独自のこけし工人として、その工芸技術が評価され、黒石市無形文化財の指定書は、秀太郎の家の近くの山形公民館で渡されたが、その時でも彼は出席せず、こけし作りを始めていた孫の美津雄が代って出席した。
 

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