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緑の革命の旗手 吉田 昌一(よしだ しょういち)

 「私がついて行くといっても、遊びに行くんじゃないよと言って許してくれません。私も作戦を考えました。幸い理事は夫婦で出席します。そこで所長代理に事情を話して私の交通費は自前、ただし吉田には、理事長から女房を連れて来るように連絡が入った、というふうに言ってもらえないかと頼んでみました。その日の夕方、吉田は顔を輝かせて帰って来ました。そして『君もハワイへ招かれたよ。いやぁ助かったなあ。』かくてIRRIの所長は国籍によって選ばない、あくまでもその個人の能力によって選ばれるべきであるという吉田の主張が通って、インド国籍のスワミナサン所長が選ばれた。当時吉田は、制癌剤を服用していたため、体重が43キロと44キロの間を行ったり来たりしていました。」
 吉田は癌に冒された身でありながら常に未来を信じ、未来に生きた。「21世紀の熱帯植物資源」という最後の訳本を妻のよし子となしとげた時は、再発した癌によって片肺の胸膜にいっぱい水がたまって息が苦しいと訴える状態だった。しかし、開発途上国のための新植物資源の開発と、植物学・化学の協同、そして日本の研究者の視野の拡大を訴えた。
 吉田は1984(昭和59)年1月23日、東京の半蔵門病院で死去した。IRRIは「プリンシパル・サイエンティスト」の称号を贈った。彼は今、川崎市の緑ヶ丘霊園の菩提樹ぼだいじゅの下に眠っている。墓石に「稲の生理の研究では世界の第一人者、アジア各国をめぐり歩き、泥にまみれて米づくりの障害を追求した実践的研究者」とある。

 (執筆者 稲葉克夫)

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