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緑の革命の旗手 吉田 昌一(よしだ しょういち)

 そこで吉田たちは開発途上国の現実にあわせた農業技術の改良に軌道を修正した。ベストを求めるのでなく、ベターがよい。それが成功してIR36の栽培面積世界一という記録になった。
 吉田昌一は数多くの論文や共著を発表したが一人で書きあげたのは英文の「Fundamentals of Rice Crop Science」(1981)だった。この本は現在、熱帯稲作農業のバイブルといわれる名著である。そしてこの本の執筆と発行で心身をすりへらし癌(がん)に冒された。
 この本はインドの英語版をはじめ、中国、ベトナム、メキシコ、コロンビア、そしてインドネシア、タイ、さらにヒンズー語でも訳され開発途上国の稲作にとって救世主の役割を果たした。それで世界的権威のあるイギリスのウィリー社から出版の誘いが来た。学者にとってウィリー社から著書が出版されるということは、学問の世界の最高権威者ということだった。しかも印税(発行部数に応じて出版社が著者に支払う金銭)が入るという実
益があった。しかし、版権がウィリー社へ移ることはIRRIのように世界中の恵まれない国々へほとんど無料で翻訳させることができなくなる。ベトナムの訳本は日本円にして100円、カラー写真などのない粗末なものだが飛ぶように売れている。スペイン語訳は中南米やスペインなどの救い主なのだ。吉田はウィリー社へ断りの手紙を書いた。この本の日本語訳は、彼の三回忌を記念して1986(昭和61)年8月23日出版された。

 吉田がIRRIにとっていかに大切な人物であったかを物語るエピソードがある。次は夫人のよし子さんの手記である。

 「吉田が原因不明の病気で苦しんでいた頃、ブラディ所長の帰国が決まり、次期所長の選出について、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていました。IRRI所長は今までは理事だけで決めていたのを、今回は上級研究員からも一人所長選考委員会に代表が出ることになったからです。投票の結果、吉田が当選しました。ところが一部のアメリカ人がおさまりません。投票をやり直すらしいといううわさが広がりました。やっぱりアメリカ人が代表にならなきゃ困るらしい、などという声もあちらこちらから聞かれ始めました。
 次の朝、吉田は誰にも相談せず、一人で所長に会いに出かけました。そして『選挙をやり直すという噂があるが、もしここで選挙をやり直せば、もはやそれは民主主義にもとづいた自由選挙とは誰も認めませんよ。』と所長に告げました。
 アメリカ人は、民主主義に背くといわれることを、とてもいやがります。所長は顔を真赤にして一瞬考えた後、分ったと答えました。その日の午前中、当選者の名が発表されました。人々は驚き、その日のうちに吉田が一人で所長に会いに行ったことがIRRI中に知れ渡りました。」


 このあと吉田は世界中に散らばっている上級職員から新所長についての希望をアンケートで集め、IRRI全職員からはグループごとに意見をまとめた。しかし、間もなく日本のガンセンターで胃癌いがんが発見され、手術となった。手術の三月後、ハワイで所長選出の委員会が開かれたが、かばんも持てない状態でも出席することにした。

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