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緑の革命の旗手 吉田 昌一(よしだ しょういち)

 「緑の革命」の心地よい響きは開発途上国の食糧不足がすでに解決されたかのような印象を与える。このことをもっとも心配したのは吉田だった。彼は冷静に事態を把握していた。ものごとの評価は期待が大きいほど、失望に傾きやすい。吉田は近代科学の大道を歩いて観察し、実験し、調査した。IRRI品種を栽培しているすべての国々を歩いた。現地に着くとすぐズボンをまくってずかずかと水田に入った。熱帯の水田は泥が深い。たちまち泥まみれになった。インドなどの学者はびっくりして目を丸くした。カースト制度の厳しい社会では、学者などは身分の高い階級出身だから泥にまみれることなどありえなかった。よし子夫人は夫に足を守って下さいとだけ言った。インドの土は石灰岩土壌なので鋭い破片があり、土の中には破傷風菌がいた。

 吉田の英語の文章はケンブリッジ大学を出たイギリス人もかなわないほど上手だった。しかし、会話となるとそうはいかなかった。農林省代表としてスウェーデン留学が認められたよし子夫人の方がうまかった。もちろん現地で育った二人の娘はもっとなめらかだった。吉田は何回もテープに吹きこんで練習をした。
 特に研究発表は大変だった。それは内容ではない。内容は数字、図、スライドなどで充分分り、また最高の成果をあげたものだったから自信があった。しかし発表の中に必ずジョークを二つ三つ入れなければ国際会議に通用しないのである。生まじめな吉田にはジョークが苦手だった。しかし、18年間の研究所生活の中でそれも身についた。ある時などは前の発表者がみんな時間をオーバーしてしまい、吉田の時には予定スケジュールが大きくおくれてしまった。人々はこれから、また、長々と専門発表を聞かされるのかといささかうんざりしている時、つかつかと壇上に上がった吉田が、にっこり笑い「私の発表内容はお手元の資料で充分お分りいただけると思います。私の発表を終わります。」とだけ言ってさっさと自分の席に帰ったので満場笑いと拍手で、後のレセプションでは最高の発表と握手攻めだった。
 ところで「小人の稲はアジアの巨人」とたたえられた高収量品種は、試験田ではすばらしい成績をあげながら農村ではそれほどの成績をあげず、かつ、収量は不安定だった。その原因究明のため吉田はすべてのIRRI品種栽培地域を調査して回り、その結果を次のようにまとめた。
 それは高収量品種栽培の条件にかんがい排水施設の整備、農薬による病害虫防除、チッソを中心とした肥料の使用があったが、貧しい開発途上国の財政、貧しい農民のもとではその条件をみたすことはできなかった。熱帯、亜熱帯の大部分の農民は水を降雨(天水)に頼っている。政府もかんがい施設のために公共投資をしない。そのため、干ばつ、大雨の影響が巨大であり、特に丈の短い新品種に被害が大きい。肥料は高価であり、しかも水の管理をともなわないと無駄になる。また稲の栽培地は高温多湿の土地で、もともと病害虫が発生しやすい環境なのに、現地の農民のおかれた条件ではタイムリーに防除活動が行えなかった。

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