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ランプの宿の歌人 丹羽 洋岳(にわ ようがく)

 ある夜この洋岳の夢枕に日蓮上人が立ち、いろいろ励ましたという。それを聞いた温湯遠光寺おんこうじ檀徒だんとたちが、十方堂を建て洋岳の信仰をささえた。お堂は宿の裏の渓流にかかる吊橋を渡った目の前に建っている。
 かやぶきで、内部奥の祭壇に日蓮上人の座像をまつり、立正安国の額を掲げて、洋岳は朝夕祈念を欠かさなかった。

   み仏の国を夢見てままならず
    あはれやたにくずの葉の風


 はかない人の世を嘆いて、仏の世界にあこがれるのも、病者洋岳の心境なのだ。
 一方短歌創作は東奥歌壇や歌誌に発表は続けていたが、第二次大戦が激しくなり、「住みりて」の一連の作品を最後に休んだ。
 1936(昭和11)年、長男兵衛が応召兵として出征した。
   
   出でゆきてはるかなる子は吾子あこならず
    日本武人にっぽんぶじんの一人なり今は


 息子を戦地に送る親の心を洋岳も味わった一人だが、その後戦争をうたったものは少なく、「蘭の花咲く山陰に住みぬれど国戦へることは忘れず」がみられるだけである。
 昭和17年父小一郎死去、2年後には母つるも世を去る。また1946(昭和21)年には、板留の本宅が全焼するという災難にあう。その間、和田山蘭が青荷に湯治に来て40年ぶりの会合は洋岳にとって救いだった。
 終戦後、ふたたび、作品発表の機会がめぐってきて、新たな津軽短歌社結成にも参加。老いのきざしの見える洋岳だが創作意欲は衰えることがなかった。
 1959(昭和34)年、詩人船水清、日本画家中畑長四郎らの編集で歌集「氷紋」を出版。10月青荷温泉地内に歌碑が建てられた。黒石文学会の努力による。
    水上の櫛ヶ峰くしがみねはやも雪白み
     とらへし岩魚いわなさびて細りぬ

 
「竜神の滝」の水の落ちる下手、池にどっしりとすわる自然石の碑は「岩魚碑」と呼ばれ人々に親しまれている。

青森県文化賞を受ける
 1959(昭和34)年11月3日、歌人としての長年の業績により、第1回の県文化功労賞受賞の栄誉に輝いた。あらためてランプ
の宿の歌人の存在を、世の人々は知って賞讃した。
 文化功労賞を受けたことにより、青荷を訪ねる人が増えていったのも当然だが、洋岳は実にあたたかく人を迎えた。
 興が湧くと、不自由な体をおして渓流に下り、大きな石に腰をかけ、枯枝で石を叩いて調子をとりながら短歌を朗詠して聞かせた。若山牧水直伝の朗詠を、よく透る声で朗々とやる、敬愛する石川啄木、秋田雨雀、鳴海要吉の短歌を、そして自作を朗詠して自らも楽しむふうだった。 

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