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へき地教育の母 クララ 川村 郁(かわむら いく)

開校式
 校舎に入ってみた。材料を出し合って作った真心のこもった水呑場みずのみば(台所)、私の居間(押し入れも床もある)には畳はないが新しいござが4枚も重ねられ、8畳いっぱいに敷きつめられていた。障子で仕切られた8坪の教室には新しい机、腰かけ、黒板、それに私と一緒に山へ登ってきたセビア色のベビーオルガン。教室の後に大小便所が一つずつ。これが校舎のすべてであった。こんな小さな学校でも、今日からここが私の働き場所とすみからすみまで眺め回した開校式。16人の子ども達は緊張した顔で行儀よく並び、来賓の祝辞や私の挨拶あいさつに黒い瞳を輝かしていた。
 
オルガンの音に逃げ出す子
 私と同じ日に山へ登ってきたベビーオルガン。最初このオルガンを見た子ども達は、何か得体の知れない物に見えたのか好奇の目を向けて、
「先生、これなあに?」
としきりに聞く。大きい生徒は知っていたが、小さい子達の大半は知らなかった。

「オルガンって言うものよ。きれいな音がでるよ。解いてもらったら鳴らしてあげるよ。」と約束した。
 包装を解き教室の中に置いた時、新しい先生もさることながらこのオルガンに子ども達の目が集中した。ふたをあけ「ブー」とドミソの和音を弾いた。
「ウワァーッ。」
と目を丸くして驚いた子ども達の顔。変な顔をして逃げ出そうとした男の子がいた。今度は私の方が驚いた。オルガンの音に逃げ出す子、これがへき地の子か。
「だあれ、逃げださなくてもいいのよ。こわくないの。さあ歌をみんなで歌いましょう。」
と知っていそうな歌を次々に弾いて歌わせた。
 オルガンの音に逃げ出そうとした子も、もう5年生になった。

貧しい子ども達
 4年間も野っ放しだった子ども達の学力は想像以上に低く、それに加えて教具らしいものは何もなかった。文明の発達している町の子ども達に比べ、こんなみじめな恵まれない子もいたのである。この貧弱な学校でも子ども達は喜んで通って来る。
 低学年だけでも手の回りかねる忙しさなので、午前中高学年はほとんど自習。午後低学年を帰宅させた後高学年の指導。学力差のはげしい5人の子どもと一緒に机を並べ、辞書をひいたり数学の問題を解いたりして、生徒と共に勉強した。小学校から中学校まで16人であるが、町のすし詰め学級よりも疲れはひどかった。


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