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郷土の博物学者 佐藤 雨山(さとう うざん)

 その説明を聞いた者は、雨山が大学で系統的に学問を学んでいないのに、なんでもよく知っているので、どうしてこんなに知っているのか不思議に思ったという。この一緒に山歩きをした人たちは、雨山を中心とする「山岳会」を結成した。
 採集した植物は、ていねいに標本にして保存した。数千種の標本の一部は、青森県立郷土館と黒石高校の生物室に保存されてある。また、克明に写生して図譜にした。雨山があるがままの植物の姿を写そうとして工夫したものにガラス絵がある。採集物の上にガラスをのせて写していくガラス絵は、形をそのまま上からなぞっていくので大変よく描くことができたが、永く保存するまでにいたらず成功しなかった。町の人たちもよく薬草を尋ねに訪れたが、咳をすればキキョウの根、風邪をひけばヒメハギの陰干かげぼし、精力が減退すればイカリソウ、淋病には土アケビ、犬の(ドクダミ)などと教えたという。
 採集したものを「日本植物図鑑」で調べてもわからない時は、母に旅費を出させ、著者の牧野富太郎のところへ二、三度尋ねに出かけた。牧野富太郎は小学校を中退、独学で植物学を研究した近代日本の植物分類学の確立者である。このようにして新発見したスミレのことを、「浅瀬石川郷土志」のなかで、次のように述べている。

 「ミチノクスミレ」
 Violaビオラ mutsuensisムツエンシス nakaiナカイ

 すみれの一種で私は本県で始めて発見したものである。もっといま此処このところより他に全く産地を聞かない。此のしゅを私は、先年雑誌園芸の友誌上でクロモリタチツボスミレと仮に命名して置いたが、其後、理学博士中井猛之進氏が植物学雑誌上で上記の如く発表し、和名も上記の如くされた。
ムツエンシスの名称は陸奥の国名から採ったものである。この菫はよく路傍ろぼうにあるタチツボスミレに似てるが、花部にいて彼と是は全く別世界のものである。正に珍中の珍として推奨に価する。

 このすみれは、現在の学名が「アイヌタチツボスミレ Violaビオラ sachalinensisサハリエンシス Boissボアス」となっている。自生地の一部を、わざわざ陸奥とか青森県と明記しているのは、雨山が発見し、紹介した功績のあとである。
 植物にかけては「黒石の牧野富太郎」といわれた雨山にも失敗談が残っている。1945(昭和20)年、第二次世界大戦が終ると食糧難の時を迎えた。三男の彰一が、コーヒー豆をひく器具で大豆を黄な粉にして食べたところ、しばらくして手足の末端がしびれ始め、それが身体の中心部である心臓に向かってくるので、どうしようもない不安が増してきた。
「ああ、これで死ぬのかな。」と感じた時、母が
「父さん、あれでないか。」というと、雨山は
「うん。」と言葉少なに答えると、急いで前町の小坂医院(現在の囲碁センターのところ)へ運んだ。医師は雨山の話を聞くと、下剤を与えて毒物を体外へ出させ子供の命を助けた。雨山の妻の言った「あれ」は、「トリカブト」のことであった。
 トリカブトの根は、矢じりに塗って毒矢にするほど毒性の強いものであるが、適量に使用すると強精剤にもなる。雨山はこれをコーヒーひきでひいて粉末にし、コーヒーひきを掃除したものの、トリカブトがいくらか残っていたのであろう。それが大豆に混ってしまったから、人体実験を行ったようになった。植物の大家が、危うく我が子の命を落とすかも知れないところまでいき、とうとう医師の手を借りなければならなかったという話である。

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