ホーム文化財・遺跡>正井 観順(2/7)


北嶺回峰(ほくれいかいほう)の苦行僧 正井 観順(まさいかんじゅん)

 父の清次郎は人格者だった。それで弘前の殿様から親孝行ものとして2度表彰された。しかし、覚蔵が15歳の1874(明治7)年の夏に亡くなった。したがって田畑の管理や商売については叔父たちが後見役となった。
 1882(明治15)年、覚蔵は22歳で従妹いとこの宇野ヤスと結婚した。上十川の宇野家とは祖父以来三代にわたる縁続きとなった。宇野家は要七家といわれる豪農である。夫婦二人の間は仲むつまじく、長女トシ、二女テイ、三女リウと3人の娘にも恵まれた。しかし覚蔵の胸の底にはわだかまりがあった。それは父が残した遺産相続の件だった。時代が移り、法律が変ったといっても、叔父たちの分け方には不満があった。でもそれを顔には表わさなかった。村の婚礼や祭りには先頭に立ってひょうきんに振るまった。ユーモラスな歌をうたって踊った。村人はそういう覚蔵をみて人の良い何の屈託もない明るい若者と思った。覚蔵は雑貨商となった。その人柄から客がよくつき、毎年旧暦の8月14、15、16日の3日間にわたって行われる猿賀神社の祭りには、大きな叺(かます)にざっくり銭が入った。それでも覚蔵は悲しかった。金ゆえに血のつながった人間同士も憎みあう。信じている人間を裏切る浅ましさ、この世のことがすべてうとましかった。それにこの世ではいくら心残りがあっても、寿命が尽きれば死ぬのだ。まだ若い母は、3歳の自分と話すことの不自由な姉をのこして死んでいくことをどんなに悲しんだことだろう。父も同じだ。叔父も面倒みのよい人間だったが、財産のことになったら人が変わってしまった。
物にとらわれると人間はみにくくなるのだ。それで猿賀様の祭りのあとで神宮寺の和尚様にこのことを訴えた。和尚様は言う。




 「それは煩悩ぼんのうじゃ。形あるものはやがて消える。今栄えているものも必ずおとろえる。人間の世界には永久不変というものはないんだ。仏教では諸行無常というんじゃ。それに人間の世界は本来、苦しみの世界じゃ。生きていくことは苦しいんだ。誰もが生身の体だから病気になる。老いる。そしてやがて死ぬ。これがいわゆる四苦だ。このほかに愛する者と別れる苦しみ、憎くって顔もみたくないと思っている人間と逆に毎日会わなければならない苦しみ、お前と叔父との仲がそうだろう。それに欲しいものが手に入らない苦しみ、そして体のエネルギーと心のエネルギーがあわない苦しみなどを合わせて八苦というのだ。よく四苦八苦というだろう。これじゃよ。

(2/7)
次のページへ

前ページへ戻る ホームページへ戻る