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黒森山の 是空行者と寂導行者(ぜくうぎょうじゃとじゃくどうぎょうじゃ)

  弟子寂導とのめぐりあい
 1825(文政8)年春、板留村の農夫、丹羽九兵衛の三男寂導は、13歳のおり、母と一緒に黒森山に参詣に来たが、突然、ここで出家をしたいと言い出し、家へ帰ろうとしなかった。
 その場はなだめてようやく家に帰したが、幾日もなく、少年は是空を再び訪れた。やや小柄で利発そうな表情をしている。是空は修行の並々ならぬ苦しさを説き聞かせ、いったん家に帰した。すると、また翌日、少年は姿を見せた。親に相談もなく、出家得度しゅっけとくどしたいので勝手に家から出たのだという。
 こんなことをくり返しているうちに、両親も寂導少年のてこでも動かない意志に根負けし、三男を連れ、わずかばかりの什器じゅうき、仏具、穀物などをもたせて、正式に是空に入門を嘆願した。
 このようないきさつから、しばらく考えぬいた挙句、是空は寂導少年を門弟として預かることにした。
 寂導の母は、我が子が入門したことを見届けると、その夜から身をきよめ、3週間にわたって、中野村の不動尊のほこらに、寂導が立派な僧に成長するよう願をかけた。
 
 不動尊の境内は、樹齢数百年と伝えられる杉の木が立ち並び昼でも薄暗いほどであるが、夜ともなれば木立ちのざわめき、鳥とも獣ともつかぬあやしい鳴声、滝の流れ落ちる音や、川の響きが、こだまし、すさまじい気配をかもしだし、男でもめったに近寄りがたいところである。この寂導の母の子を思う真心に、まわりの者、みな心打たれ賞賛したと伝えられる。

 寂導が入門するとしばらくの間、板留の生家の丹羽家では、ひえや粟、世帯道具をおくるなど生活の手助けをしたといわれる。
 当時、黒森山一帯は家畜のための採草地であった。4月ともなれば、待ちかねたように若草がもえだし、庵の裏山の樹々が、黄みどりも鮮やかに芽を吹き出す。そのなかで27歳の青年僧是空と、髪をおとしたばかりの、まだあどけなさの残る13歳の少年僧寂導の修行生活が始められた。
 二人は邪魔な石を動かし、水を引き、木を倒し、土地をならし畑を耕し、大豆、粟、麦等を栽培し、裏庭には栗、くるみを植えた。

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