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黒森山の 是空行者と寂導行者(ぜくうぎょうじゃとじゃくどうぎょうじゃ)


 しかし、山中での生活は大変きびしいものがあった。小鍋こなべ1つ、少量のあわ、敷物を1、2枚もって山に登り、まず、身をいれるだけの草庵そうあんを結び、あらむしろを敷きその上に寝起きし、ひねもす念仏を唱えた。そのかたわら、残雪まばらな山野から、草の根を掘ったり、手に入れた山菜などを水煮して露命ろめいをつないでいた。食料が乏しく寒気のため是空の身体は目にみえて衰弱していった。
 うわさを聞いた身内の者が、堅雪かたゆきを歩いて、米、塩を持って来たが、是空は米断ち、塩断ちを守るため、がんとして受けつけず、身内の者たちも、是空の身の上を案じつつも、しおしおと山からおりねばならなかった。
 このことを木こりから聞いたふもと黒森村の一老婆は、粟餅をつくり、是空にすすめたが、女人の供養は受けないと是空はこれを拒否した。老婆は「命あってこその信心ではありませんか。」と譲らず、是空も老女の心根に打たれ、粟餅を口にしたといわれる。
 これといった仏具を揃えていなかった是空は、響きのよい板を木魚がわりに用い、棒切れで叩きながら、なり振りかまわず、無心に念仏修行に明け暮れていた。
 是空の噂を聞いた弘前土手町の町人、三浦某の妻は、かねて黒森山の参詣をしたいと思っていたが、家業が忙しく、参詣のかなわないままに病の床にふしてしまった。 臨終の際、家の者に「夢の中で黒森山に参詣したところ、小さないおりに行者が一人いた。見れば、やせ細り、黒ずんだ顔の左眼が少し悪いようだが、一生懸命、板を叩いて念仏を唱えていました。
 不思議に思ってあたりをみても、かねも木魚もなかった。だから私が死んだら必ず鉦を寄進して下さい。これが私の一生のお願いでございます。」といい遺して亡くなった。家中の者が、半ば疑いながらも、忌中もあけぬうち、鉦をたずさえて浄仙庵に来てみると、臨終の際の言葉と寸分たがわず、是空は板を鳴らして念仏をしていたのでことのほか驚いたという。

 

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