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黒石の名家老 境 形右衛門(さかい ぎょうえもん)

 1821(文政4)年4月、修令しゅうれいと改名した形右衛門は、下斗米秀之進しもとまいひでのしん(相馬大作)が、弘前藩主津軽寧親を白沢付近で待ち伏せしているという情報が平内の狩場沢番所からもたらされると、自ら馬を走らせて、弘前城に急報した。そのおかげで、寧親の一行は通路を変更し、事なきを得た。
 寧親は、先代形右衛門も修令も世話になった主君で、この父子のよき理解者でもあった。大事な場面で、主君の恩に報いたわけである。
 この2代目形右衛門は、1860(万延元)年に亡(な)くなった。
 修令の子も八百次郎と称し、1856(安政3)年、家老に就任して3代目境形右衛門を名乗った。3代目形右衛門については、史話も伝わっていないので、話はここで閉じることにする。
 江戸後期、黒石らしい世界をつくりだした境形右衛門は、円覚寺の境家の墓地に眠っている。

 (執筆者 七尾美彦)
 黒石津軽家略系図
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