ホーム文化財・遺跡>境 形右衛門(5/6)


黒石の名家老 境 形右衛門(さかい ぎょうえもん)


 黒石の盆踊りは開放的なことで知られ、陣屋を開放して「廻り踊り」をやらせたり、武士や農民も身分を隠して町人にまぎれこんで踊ったりした。この時だけは、身分や格式を忘れ、日頃の憂(う)さが晴らせるわけで、藩主も形右衛門も、統治上も良策と見たのであろう。
 こうした物見興業を盛んにする政策は、周囲が弘前藩領であった小藩の一つの知恵であった。
 2代目形右衛門が力を注いだ最後の仕事は、黒石津軽家の墓所を保福寺ほうふくじにも設けるという仕事であった。これまでは、江戸の津粱院しんりょういんや常福寺(いずれも東京都台東区にある)であったのだが、国元にも菩提寺があった方が、法事・参詣などで都合がよいと考えたのであろう。そうするためには、弘前宗家の承諾も必要なので、よく弘前にも通って掛け合ったようである。

 形右衛門の粘り強い努力がようやく報いられ、8代親足ちかたり(初代黒石藩主)の子久鶴ひさつるが1816(文化13)年に没すると保福寺に葬られた。さらに、10代承保つぐやすの子が1850(嘉永3)年に亡くなった時も保福寺に葬られた。その結果、幕末には、歴代領主の法事は保福寺で営まれるようになった。


(5/6)
次のページへ

前ページへ戻る ホームページへ戻る