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黒石の名家老 境 形右衛門(さかい ぎょうえもん)

 この年の7月7日夜、元町で造り酒屋を営んでいた沢屋孫兵衛方へ、弘前藩士5人がやって来て、一振りの刀を入質せんとせがんだ。入質とは名ばかりで、実は金銭のゆすりであった。番頭や主人に体良くことわられた5人は、抜刀して店の中で暴れだした。
 沢屋の家人は、町奉行へ知らせたり、町内の若者達を集めたりした。そのうち、黒石陣屋の変太鼓が打ち鳴らされ大騒動になった。
 まず駆けつけたのは堰役の山田清左衛門で、若者達の加勢を得て5人と切り結んだ。大目付であった境八百次郎も馬で現場に駆けつけ、槍を持って取り鎮めを指揮した。

 どんどん人が増えてくるので、形勢不利と見た5人の狼藉者たちは、灯火を消して逃走をはかった。4人は闇にまぎれて逃走したが残る1人は捕えられ、弘前藩に引き渡された。
 山田清左衛門は負傷しながらもよく戦ったということで、弘前藩から賞詞を賜わり、医療費を支給された。
 この年の冬、境八百次郎宅へ弘前藩士が数人訪れた。先般の事件の手柄を祝福したいという挨拶であったが、実は仇討が目的であった。いち早くこれを見破った八百次郎は、彼らにつけ入るすきを与えず、御馳走して帰したという。
 1791(寛政3)年、八百次郎は家老格の村代に任命され、2代目形右衛門を襲名した。村代の職は、1792(寛政4)年に罷免されたが、1809(文化6)年、黒石津軽家が1万石の大名になった年、黒石藩初代の家老に就任した。
 2代目境形右衛門も初代形右衛門とよく似て機知に富んだ人であったらしい。物見興業を盛んにして近郷近在から人を集め、黒石の町を繁昌させようとした話は、初代形右衛門のやったことか2代目形右衛門のやったことか不明確に書かれてきたが、初代から2代目にその政策が受け継がれたと考えればよいであろう。

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