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田山堰を開いた 田山 藤左衛門(たやま とうざえもん)

 そこで登場してくるのが田山藤左衛門である。藤左衛門は六郷に縁のある人だから、六郷に隣接している北黒石4ヵ村の内情にも通じていて適任と見られた。
 飛内の高木家に残っている元禄時代の年貢関係の文書には、たいてい田山藤左衛門の署名と印がある。しかし、彼の署名が見られるのは1695(元禄8)年までで、翌年以後の文書には、もう彼の名は見られない。仕事人藤左衛門も、寄る年波には勝てなくなったようである。藤左衛門がいつ生れていつ亡くなったのかは明らかでないが、1695年の時点では、もう65歳も過ぎていただろう。さまざまな仕事を確実にこなしてきた40数年間の多忙の日々を、静かに回想する晩年であった。
 さまざまな思い出の中で、藤左衛門の脳裏を片時も離れなかったのは、あの壮年の日に、寝食を忘れて取り組んだ堰の工事のことだったに違いない。
 「あの頃は俺も若かったし、百姓衆もよくやってくれた。死んだ人も山形や六郷の田んぼを見れば成仏してくれるだろう。」
 藤左衛門が田山堰から眼下の水田を眺める時、彼は亡き人々と一緒に眺めていたのである。

  (執筆者 七尾美彦)
 
 

(田山堰の流れ)

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