ホーム文化財・遺跡>田山 藤左衛門(3/6)


田山堰を開いた 田山 藤左衛門(たやま とうざえもん)

 
   その他に、工事人夫の動員計画や費用の見積りの仕事があるが、田山藤左衛門という人は、1660年代(寛文年間)に、勘定奉行かんじょうぶぎょう配下で御金奉行ごきんぶぎょうをつとめている人なので、見積りは得意な仕事であったようだし、動員の方は黒石領主の協力が約束されたので、心配はなかったと思われる。
 かくして、1656〜57(明暦2〜3)年頃に開削工事が始まるわけだが、弘前藩の藤左衛門たちが動員した人夫は延べ5000人、黒石陣屋で動員した人夫は延べ3000人であった。
人夫といっても、ほとんどは農民であった。田山堰を歩いてみればわかるのだが、流れをゆるやかにするために、所々に段差を設けて小さな滝のようにしてある。藤左衛門たちがいかに頭を使ったかがわかる。
 難工事は何といっても、山形の高清水山の山腹開削の工事で、岩石の多い石山の開削をのみやつるはしだけで掘ることは、想像以上の苦しみであった。1981(昭和56)年に、東英中学校演劇部で発表した「田山堰物語」の舞台でも、この高清水の難工事の場面が中心になっている。
 この物語は、元中郷中学校教諭鎌田與一郎氏の原作によるものであり、すべてが史実にもとづいて作られたものではないが、田山堰の開削工事の状況やそれにたずさわった人々の苦難の様子がよくうかがわれる。次にその一部を紹介する。
   「田山堰物語」 第二幕より

   ・1657(明暦3)年の夏
   ・堰の工事現場
   ・工事人夫
     飛内村の孫六
     目内沢村の与作
     花巻村の千吉
     馬場尻村の半蔵
     出石田村の多助
     野添村の弥七
     福民村の甚八
    ・彦兵衛(花巻村の庄屋)
    ・良庵(田代山の僧)

 

 

(3/6)
次のページへ

前ページへ戻る ホームページへ戻る