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黒石初代領主 津軽 信英(つがる のぶふさ)

 信英の長男信敏のぶとしは家督を相続し、幕府旗本の役目も継承したが、弟の信純のぶずみに5000石のうち、北黒石4カ村500石と上州領の中から500石を分知した。信敏を黒石本家、信純を黒石分家といい、弘前の本家は宗家といった。このうち黒石分家は2代信俗のぶよに子がなかったので、1689(元禄2)年9月断絶し、北黒石の下目内沢、飛内、小屋敷、馬場尻4カ村と上州領女塚村と赤堀村の所領は幕府に没収された。
いわゆる天領となった。もっとも北黒石の管理は弘前藩が行い、年貢は貨幣で幕府の奥州代官に納めた。田山堰の田山藤左衛門はこの時に活躍した。
 1698(元禄11)年、黒石本家は上州領の残り1500石を幕府に献上して北黒石4カ村を黒石領に戻した。この時、幕府は奥州伊達郡秋山村(現福島県川俣町秋山)371石も黒石領とした。それは北黒石4カ村の実高が1128石3斗5升だったので、幕府領だった秋山村を上秋山村371石と下秋山村779石に分村し、上秋山村を黒石領とし上州領1500石との等価交換としたのである。
 信敏の長子政*まさとら(まさたけともいう)は3代領主となって77歳の長寿を保った。妻あぐりは忠臣蔵の吉良上野介きらこうずけのすけの娘。もっともあぐりは元禄元年8月に病死しているので47士討入と父の非業ひごうの死は知らない。
 また政*のことで特筆すべきは50歳頃に書いたといわれる釣魚秘伝のサブタイトルをもつ「何羨録かせんろく」の著者だということである。

*→凹の下が儿

「何羨録」は、わが国最古の釣りの本で江戸近海の釣り場、天候、竿さおはりおもり口伝くでんなどが具代的、詳細に書かれている。文化人だった信英の孫らしい風流な殿様といえよう。

 (執筆者 七尾美彦)


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