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市指定民俗文化財


・黒石よされ踊元踊   ・上十川の追分石   ・薬師寺の石敢當碑   ・赤坂の庚申塔   ・竹鼻の五庚申塔
・竹鼻の廻国納経塔   ・竹鼻の百観音碑   ・獅子が沢のしし石   ・馬場尻の庚申塔   ・法眼寺の砂踏之碑
黒石よされ踊元踊(くろいしよされおどりもとおどり)

所  在  地 黒石市
指定年月日 昭和57年11月4日

 黒石市最大の行事に、「日本三大流し踊り」の一つと称されている「黒石よされ」がある。
 この「黒石よされ」の基礎になっているのが、「元踊」とよばれる古式の「黒石よされ」である。
 「元踊」の原形は、三味線・太鼓・鼓各1人の演奏に合わせて1人が唄い、揃いの浴衣・笠・白足袋に草履をはいた約10人の踊り手が踊りを行うものである。「黒石よされ」の起源は古く、約500年前に行われていた盆おどりで、男女の恋の掛け合い唄であったといわれている。
 黒石の盆おどりが盛んに行われたのは、天明年間(1781〜88)に時の後の家老になる境形右衛門(2代目)が、城下町に人を集める商業政策として始めたためだという。
 ところで、この「よされ」という言葉の由来には定説がない。① 与三郎という人がおり、宴会に招かれたが、十分に酔うことができないため、与三郎が即興的にヨサレを唄ったので、家老たちがその意を解して席をはずした、②酒席から邪魔者与三郎を追い出すために「与去れ」と言った、③豊作で楽しいときには、「仕事をよして楽しく踊りなされ」、凶作で苦しいときには、「このような世の中は早く去れ」から「よされ」が生まれた等々説は多い。
 明治30年以降、黒石よされは絶えたが、戦後黒石の商工会が町の発展のため、黒石よされを復活させた。昭和35年以降、黒石商工会議所、黒石観光協会が観光行事の1つとしてとりあげ、誰でも踊れるような現在の振り付けを行い、今日に至っている。

上十川の追分石(かみとがわのおいわけいし)

所  在  地 黒石市大字上十川字北原
指定年月日 昭和59年10月12日
所  有  者 派立2・3町内

 追分石(おいわけいし)とは、街道の分岐点に建てられた道案内の標識のことで、上十川の追分石は、県道浪岡北中野黒石線の長谷沢神社入口前に建立されている。
 この石碑は、黒石から青森方面または長谷沢神社方面へ向かう道標で、正徳4年(1714)6月28日、長谷沢に住みついた修験者である養是院によって建立された。この追分石がある県道浪岡北中野黒石線は、黒石から青森方面へ向かう主要な道路であるうえ、長谷沢神社は古くから津軽三不動の1つであることから、その道標として利用されていたものであろう。
 追分石は津軽地方で42基が確認されている。その大半は弘前・黒石周辺に集中しており、黒石市内では24基が確認されている。この追分石は、現存する追分石の中で津軽最古のものであり、津軽の近世交通史や民間信仰史を研究する上でも貴重な史料である。

薬師寺の石敢當碑(やくしじのせきかんとうひ)

所  在  地 黒石市大字温湯字鶴泉
指定年月日 昭和59年10月12日
所  有  者 薬師寺

 薬師寺の境内入口手前に「石敢當(せきかんとう)」と記された石碑が建てられている。
 石敢當とは中国発祥の魔よけの石碑のことで、主に道路の突き当たりや橋のたもと、家の門口などに建立されており、日本では沖縄県や鹿児島でかなりの数が建立されている。関東以北では建立数が少なく、青森県では4基しか確認されていない。
 薬師寺の石敢當は、文政6年(1823)に弘前藩の表医師である三上隆圭が、慈雲院の境内(弘前市新寺町・現弘前高等学校)に建立したものである。その後、慈雲院が廃寺になった際、同じ黄檗宗である薬師寺に移転され今日に至っている。
 県内では、黒石市に1基、弘前市に1基、平川市に2基が確認されているが、出所が明らかなのは、薬師寺の石敢當のみで貴重である。

赤坂の庚申塔(あかさかのこうしんとう)

所  在  地 黒石市大字赤坂字東池田
指定年月日 昭和59年10月12日
所  有  者 赤坂町内

 赤坂の八幡宮にあるこの庚申塔(こうしんとう)は、寛政9年(1797)7月22日に建立されたもので、表面には青面金剛童子(しょうめんこんごうどうし)が彫られている。
 庚申塔とは、「60日に1回巡ってくる庚申の日に寝ると、体内から「三尸(さんし)」と呼ばれる虫が抜け出してその人の寿命を縮めようとするため、その日は寝ないで起きていなければいけない」という信仰に基づいて建てられた石碑のことで、江戸時代を中心に多くの地域で建立された。その中でも、青面金剛童子は三尸駆除の利益があることから、庚申信仰の本尊として扱われている。
 市内には91基の庚申塔が存在するが、青面金剛童子像が彫刻されているのは、本資料と文化8年(1811)8月に建てられた竹鼻八幡宮の2基だけで、貴重である。

竹鼻の五庚申塔(たけはなのごこうしんとう)

所  在  地 黒石市大字竹鼻字宮元
指定年月日 昭和59年10月12日
所  有  者 竹鼻敬神会

 竹鼻の八幡宮に建てられている五庚申塔(ごこうしんとう)は、文化6年(1809)9月3日に田之沢村で建立された石碑である。田之沢村は現在の浪岡町本郷地区に所在していた集落であるが、明治に廃村となったため八幡宮に移されたという。
 庚申塔とは、「60日に1回巡ってくる庚申の日に寝ると、体内から「三尸(さんし)」と呼ばれる虫が抜け出してその人の寿命を縮めようとするため、その日は寝ないで起きていなければいけない」という信仰に基づいて建てられた石碑のことで、江戸時代を中心に多くの地域で建立された。
 この庚申の日は、年に6回が一般的であるが、閏年の関係で5回の年と7回の年があり、5回の年は「五庚申」、7回の年は「七庚申」と呼ばれている。五庚申の年は凶作、七庚申の年は豊作であるとされ、五庚申の年には豊作祈願、七庚申の年には豊作に感謝して碑を建てることがあり、この碑を「五庚申塔」、「七庚申塔」という。
 津軽地方では約1700基、黒石市内でも91基の庚申塔が確認されている。その9割が五庚申または七庚申の年に建てられているが、「五庚申」と刻字されているのは、竹鼻八幡宮の1基だけで、貴重である。

竹鼻の廻国納経塔(たけはなのかいこくのうきょうとう)

所  在  地 黒石市大字竹鼻字宮元
指定年月日 平成元年3月3日
所  有  者 竹鼻敬神会

 竹鼻の八幡宮の境内にある廻国納経塔(かいこくのうきょうとう)は、正徳4年(1714)2月25日、竹鼻村の乗田安兵衛夫妻によって建立された。どのような経緯で建立されたものか明らかではないが、施主である乗田安兵衛は、「百観音碑」(市指定有形文化財)の建立にも関わっていることから、当時の竹鼻村の豪族であると思われる。このほかに廻国に関わったと思われる関東地方9人の人名が刻まれている。
 「廻国納経塔」とは、66部の法華経を全国66か国の霊場に一部ずつ納経するため国々を廻ったこと、または廻っていることを銘文にした碑である。また、廻国の行者のご利益や縁にあやかり、土地の人が協力者(施主・世話人)となって碑を建立することもあった。
 廻国納経塔は、津軽全体でもわずか5基しか確認されておらず、その中でも竹鼻にあるこの碑は津軽最古のもので、貴重である。

竹鼻の百観音碑(たけはなのひゃっかんのんひ)

所  在  地 黒石市大字竹鼻字宮元
指定年月日 平成元年3月3日
所  有  者 竹鼻敬神会

 江戸時代にお伊勢参りをはじめとする寺社参りが盛んになり、各地に33番札所が設けられた。その中でも西国・坂東・秩父の三国百番巡礼が最高とされたが、長期間の日数と莫大な費用を要するため、かなり裕福な者でなければ巡拝できなかった。そこで巡礼の記念に「百観音碑(ひゃっかんのんひ)」を建立し、お参りにいけなかった人がこれを拝むことで百観音参りのご利益に授かることとした。
 竹鼻の八幡宮の境内に建立されている「百観音碑」は、正徳4年(1714)8月、竹鼻村の乗田安兵衛、林助左衛門、井戸庄兵衛の3名が願主となって建立した。乗田安兵衛は同年「廻国納経塔」を建立しており、この影響を受けて巡礼したものと思われる。
 百観音碑は、津軽地方では黒石市上十川、平川市、大鰐町に1基ずつ確認されているのみであり、その中でも竹鼻の碑は最も古い碑として、大変貴重なものである。

獅子が沢のしし石(ししがさわのししいし)

所  在  地 黒石市大字上十川字長谷沢
指定年月日 昭和62年1月10日
所  有  者 上十川財産区

写真
しし石(大)
写真
しし石(小)

 長谷沢の上流地域に、通称「獅子が沢」とよばれている場所がある。その場所には鹿の頭を彫った石が2基残されており、古くから地元の人々はこの石を「しし石」と名付け、そこの場所を「シシア沢」と呼んでいる。
 「獅子が沢のしし石」がいつ作られたのか不明であるが、江戸時代の紀行家・民俗学者である菅江真澄(すがえますみ)が寛政10年(1798)に記した『追柯呂能通度(つがるのつと)』で紹介されていることから、寛政10年よりも古い年代に作られたことが判る。
 この「しし石」は、大きい石と小さい石の2基から成っており、大きい石には8頭分の鹿の頭が、小さい石には2頭分の鹿の頭が彫られている。
 石に鹿の頭を彫る理由については、山子芸術の一種とか、鹿を供養するために作ったとか、上十川の獅子(鹿)踊に関連して踊りに使い古した鹿頭を埋めたのではないだろうかなど諸説あるが、明確な意義については解明されていない。
 しかし、全国的にも類例がなく、非常に貴重な文化財である。

馬場尻の庚申塔(ばばしりのこうしんとう)

所  在  地 黒石市大字東馬場尻字馬場尻
指定年月日 平成元年3月3日
所  有  者 馬場尻八幡宮

 馬場尻の八幡宮の境内にあるこの庚申塔は、元文5年(1740)8月22日に馬場尻村の藤治郎ほか8人が創建したものである。
 庚申塔とは「60日に1回まわってくる庚申の日に眠ると、体内から三尸という虫が抜け出して天帝にその人の悪事を告げ寿命を短くするから一晩中寝ないで起きていなければならない。」という信仰に基づいて建てられた石碑のことで、江戸時代を中心に多くの地域で建てられた。
 この庚申塔の碑面には、庚申信仰の由来等がいっぱい彫り込んであり、このような庚申塔は他に類例がなく、非常に貴重なものである。
 市内に91基ある庚申塔の中では最も古く、津軽地方の1700基の庚申塔の中でも6番目に古いものである。

法眼寺の砂踏之碑(ほうげんじのすなふみのひ)

所  在  地 黒石市大字山形町
指定年月日 平成元年3月3日
所  有  者 法眼寺

 法眼寺の砂踏之碑は、寛延4年(1751)4月17日に建立されたものである。銘文には黒石の西村四郎兵衛の妻が西国33か所巡礼を行い、巡礼先のお堂の下から砂を持ち帰って、この石碑の下に埋めたということが記されている。巡礼に行けなかった人は、その1つ1つに足をかけて本霊場に立ったと同じ気持ちで御詠歌を奉読し、そのご利益にあずかった。
 西国霊場33か所巡礼の碑としては、県内唯一のものであるとともに、観音信仰の実体を調査する上でも大変貴重な石碑である。


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