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県指定文化財


県重宝 金梨子地牡丹紋散蒔絵衛府太刀拵
   (きんなしじぼたんもんちらしまきええふたちこしらえ)

 太刀黒石神社にある御神刀。黒石第11代藩主津軽承叙(つがるつぐみち)が明治時代になり、帯刀が許されなくなったため藩祖津軽信英(つがるのぶふさ)を祀る黒石神社に奉納しました。

 この御神刀は、柄には鮫の皮が張られており、滑り止めとして金の俵鋲を付け、柄頭には合金を象眼しています。また、鞘全体に金粉を蒔いた透明な漆が塗られた金梨子地の上に黒石藩の家紋である五葉の牡丹紋が施されています。このことから金梨子地牡丹紋散蒔絵衛府太刀拵と呼ばれています。美術工芸品として優れていることから昭和49年10月14日に県重宝に指定されています。

 鞘に納められている刀身は、再刃のため県重宝に指定されませんでしたが、正恒(まさつね)の銘があることから鎌倉時代の作品と思われます。財団法人日本美術刀剣保存協会の鑑定では、再刃でなければ国宝級の価値があるとのことです。平成12年3月24日に黒石市有形文化財に指定されています。

県重宝 法眼寺本堂(ほうげんじほんどう)
鐘楼
県重宝法眼寺鐘楼堂

 法眼寺(ほうげんじ)は、延宝8年(1680)に勢州阿坂(三重県)出身の南宗元頓(なんしゅうげんとん)によって開山された黄檗(おうばく)禅宗の寺です。本山は京都府宇治市にある黄檗山万福寺です。黄檗宗の寺は東北地方では15か寺、県内に至ってはわずか3か寺ですが、黒石市内には法眼寺と薬師寺の2か寺があります。

 法眼寺は最初、温湯村に建てられましたが、元禄4年(1691)に黒石第3代領主津軽政*(まさとら)の命により、現在の山形町に移されました。以降、黒石津軽家の祈願所として寺領が与えられました。法眼寺の本堂には、津軽第二十六番目の札所として津軽三十三ヶ所観音霊場の三十三観音の一つである十一面観世音が安置されています。

 最初に建てられた本堂は焼失しました。その後も度重なる地震により倒壊し、明和6年(1769)に仮本堂として再建された本堂が、近世社寺の特徴が表れた建物であることから、平成5年4月16日に県重宝に指定されています。

 平成17年3月14日、雪害により屋根が倒壊し、内陣も一部破壊されました。現在、平成17年度、18年度に本堂を復原するために、保存修理が行われ、平成18年11月25日に完成いたしました。

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県重宝 黒石市消防団第三分団第三消防部屯所

 大正13年(1924)に建てられた町屋に洋風デザインを取り入れた擬洋風建築の消防屯所です。現在もその機能を果たしている建物です。昭和3年にノーザン式消防自動車の配備により1階部分を増築し、バルコニーを取り外したために正面デザインが変更されましたが、建築当初の様相がよく保存されています。特に切石を積んだ基礎、入母屋屋根のぺティメントの装飾や望楼の屋根に近代建築の意匠を取り込んでいることに地方における近代化の特徴が表れています。

 基本的には2階建ての建物ですが、2階部分前方に梁間1間、桁行1間の望楼を3段載せており、全体として5階建ての建物になっています。

 市内には望楼を載せた消防屯所が3箇所あり、一番古いものは、元町の第二消防部屯所ですが、第三消防部屯所は造形的にも優れ、保存状態も良好で、平成15年7月14日に県重宝に指定されています。

県無形民俗文化財 大川原の火流し

火流し 大川原の火流しは、約650年前から伝わる大川原地区の伝統行事です。毎年、旧盆の8月16日の夜、中野川を赤々と染めながら「火の舟」を勇壮に走らせる奇習として全国的に知られています。

 火流しの舟は、アシガヤを使用して3隻作ります。それぞれの舟を中野川に流し、1隻の舟を6人の若者が引張ります。このときに帆柱に火を付け、火が消えないように舟を走らせます。これは、舟を早生、中生、晩生の稲に見立てたもので、帆柱の燃え具合で次の年の豊凶を占うものです。

 この伝統行事の由来は、後醍醐天皇の第八皇子宗良親王(むねながしんのう)の子孫が北朝方に追われ、大川原に住みつき、戦死者の慰霊のために始めた精霊流しが原形だと言われています。現在では、稲作の豊凶を占い、住民の無病息災を祈る行事として行われています。

 最近の調査で大川原に住みついた落人は、信濃大河原の香坂(高坂)高宗の子孫であることが解明されています。長野県大鹿村の村史編纂室に問い合わせたところ、香坂高宗は、南北朝時代に信濃大河原一帯を領有していた豪族ですが、宗良親王が北朝に追われたときに香坂高宗を頼り、大河原城に迎えられたという記録があります。そして、亡くなるまで30年近く、大河原に居住していました。そのため、大川原に住みついたのは、高宗の子孫と高良の子孫と高良親王お付きの公家の一族である可能性があります。

 大川原の火流しは、600年以上も伝統行事として継承されてきたことに文化財としての価値が高く、多くの観光客が訪れています。昭和58年1月20日に県無形民俗文化財に指定されています。

「県無形民俗文化財 大川原の火流し」

県無形民俗文化財 黒石ねぷた

 ねぷたは「ねむりながし」の習俗が風流化したもので東北各地には、このような習俗で災厄を払い、無事息災を祈る行事が多く伝わっています。青森県内では、青森市の『人形ねぶた』、弘前市の『扇ねぷた』がよく知られていますが、『黒石ねぷた』には、人形ねぷたと扇ねぷたの両方があります。特に、黒石市の人形ねぷたには、5段からなる高覧上に人形の本体を載せ、さらに見送り絵が付いているという特色があります。また、黒石ねぷたの人形は青森の人形ねぶたに比べると小型ですが、繊細で色彩も鮮やかです。

 『黒石ねぷた』の起源は不明ですが、天明6年(1786)以前に運行していたことがわかっています。現在では、子供を中心とした3世代交流の場であり、市民総参加の祭りとして盛り上がっており、運行台数も約80台に及んでいます。平成5年4月16日に県無形民俗文化財に指定されています。

県無形民俗文化財 上十川獅子踊(かみとがわししおどり)

 旧暦4月8日に長谷沢(ながいざわ)神社で行われる獅子起こしから旧暦8月15日に上十川(かみとがわ)八幡宮で行われる獅子納めの期間、上十川地区において踊られています。

 獅子踊りは、囃子に笛奏者3、太鼓奏者2、手平鉦奏者3(うち1名は歌掛けを兼ねる)、踊り手はオガ獅子(案内者)、牡獅子(小)、牡獅子(中)、牝獅子(大)、山持ち各1名の総計13名からなります。現在行われている演目は、街道渡り、門の切り、追い込み、橋掛け、女獅子競い(相撲)、十五夜、松山、山掛けがあります。旧暦の8月15日に行われる獅子納めの十五夜の夜に「十五夜はお出やる、お月を待ちかねて、あかし立てたり芋殻松明」の詞章を歌い、篝火の周りを廻りながら踊る「十五夜」が音頭も正確に伝えられています。また、踊りを始めるにあたって神社では「不動経」が音頭取りによって唱えられます。

 創始年代は定かではないが、伝承では、「天正12年(1584)、南部の品川六郎右衛門が第十代浅瀬石城主千徳政氏に獅子一揃いを贈り、家臣に取り立てられて、千徳家のかかえ獅子として舞を完成した。千徳家が滅亡後は、村人によって伝承され、野際村を経て、明治7年4月に上十川に移された」というものです。

 移された獅子は、保存が困難となり、獅子を山中に埋めた。それから10年後、コレラと悪疫が村一般に広まり、獅子を再び掘り起こし、太鼓を叩き、獅子舞を踊ったところ、猛烈な悪疫を払い除くことができた。以来、凶事退散の舞として受け継がれています。平成11年7月23日に県無形民俗文化財に指定されています。

県天然記念物 妙経寺のカヤの木

 妙経寺のカヤの木は、樹齢約700年、樹の高さ19.5m、幹の周り6.55mあります。碁盤や将棋盤として貴重価値の高いカヤの木は、元来、宮城県を北限とし、北方では育たないといわれてきました。しかし、この地方では古くから天台密教が栄えており、各地を巡回した修験者がカヤの木の苗木を妙経寺に植えたものと考えられます。樹勢は良く、腐朽もなく順調に生育しています。本県では三戸郡南郷村の高松寺(こうしょうじ)のカヤの木が有名ですが、妙経寺のカヤの木はこれより200年以上古い樹木です。昭和63年10月25日に県天然記念物に指定されています。

県重宝 明暦二年津軽十郎左衛門拝領山形黒石領外浜平内領検地帳
                      (明暦の検地帳)

 津軽信英が弘前藩から5千石で分知したときに領地は、黒石領2千石、平内1千石、上州勢多郡2千石でした。このうち、弘前藩では黒石領と平内領を検地していますが、それが、「明暦の検地帳」です。これには黒石領内の町内名をはじめ、作人名、耕作面積、作物名などが克明に記録されており、今でいう土地台帳であり、信英が分知した当時の歴史的事実を知ることができる貴重な資料です。また、「貞享(じょうきょう)の検地帳」より約30年前に作成されており、津軽領内最古の検地帳です。平成12年4月19日に県重宝に指定されています。


黒石市役所
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